旅と読書。
世の中には、読書を目的とした旅をする人たちがいる。
どこかで、本を読む。その為だけに、見知らぬ土地を訪れる。
本を携えて。
京阪電車を「祇園四条駅」で降りて、そこから東に向かって15分ほど歩くと、秀吉とねねの寺として広く知られる東台寺がある。
そのまま、石畳が敷かれた「ねねの道」を抜けてゆくと、高台寺公園に辿り着く。
ここは、いつも賑やかで、誰かが必ずいるような公園だ。とうに桜は散ったけれど、カメラを手にした観光客や、ドッジボールに興じる子供たちや、カップルたちの声が絶えない。
晴れた日の午後だと、ほのぼのとすること間違いない。
また、霊山観音へと続く階段を上ってゆくと、京都を一望することが出来る。
なかなかダイナミックな眺めで、ついつい見惚れてしまう。
でも、観光よりも読書がしたくて、公園の片隅にあるベンチに腰掛けた。
グラウンドでは、子供たちが思い思いにはしゃいでいる。ちょうど日曜日の午後ということもあって、ぼんやりとしてしまう。
太陽の光は暖かく、風は心地良く、うとうとしてしまう。
ポケットには、文庫本が一冊。「風の十二方位」というタイトルの、アーシュラ・K・ル=グウィン短編集だ。この本には、「オメラスから歩み去る人々」という短編が収録されている。
これを読む為に、高台寺公園を訪れた。
アーシュラ・K・ル=グウィンという小説家がいる。
彼女の代表作は「ゲド戦記」で、SFやファンタジー作家として知られている。
「オメラスから歩み去る人々」は、彼女のもう一つの代表作だ。
ここではないどこかに、オメラスと呼ばれる美しい理想郷がある。
人々は、絵に描いたような幸福と祝福を浴びながら生きている。完璧な一日が、永遠に続くように。
だが、このオメラスのすべては、ある部屋に幽閉された汚物まみれの子供によって成り立っていたのだ……。
この短編には、ハッピーエンドとヒーローが存在しない。
ここに書いたあらすじより多くのことは起きないし、何の救いも用意されていない。
主人公さえも、存在していない。
だからこそ、読者は自分の身に置き換えて、じっくりと物語に専念することが出来る。
そして、冷徹までの筆致を追い掛けていくうちに、ある種の葛藤と問いかけが訪れる。
それが何なのかを、ここで明かすつもりはない。実際に、読んでみてほしい。
優れた小説は、時を超えて人の心に残り続ける。
「オメラスから歩み去る人々」は、読者の過去と未来に、決して消えない問いかけを刻んで去ってゆく。
その問いを抱えて本を閉じる時、わたしたちの目に映る景色は、明らかに違うはずだ。
誰もが、旅人になれる。
けれど、わたしたちにその覚悟はあるのだろうか。
その覚悟は、本当に正しいものなのか。
観光地の公園で、ひとり短編小説を読む。なるべく寓話みたいなやつを。
自分の人生を振り返るために。
なぜ、旅を始めたのかを忘れないために。
いま、ここを去ってゆくために。
今日。
わたしはここで本を読む。


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