Kyoto

【魔界京都】呪われよ。京都最恐心霊スポット7選

佐藤ルーミー

大昔から魑魅魍魎と共存してきた京の町。3次元では捉えきれない存在を第六感で確認するため、前回に引き続き京都の心霊スポットへ新たな出会いを求めて行って来た。今回は晩秋から冬にかけて探索したもので、恐怖心よりむしろ寒さとの戦いになった。現場に着いてみると背筋が凍った瞬間がいくつもあった。まさに「身の毛もよだつ」体験だったがこれは今が冬だからだろうか。それとも・・・。

 

深泥池(みどろがいけ)

深泥池

 

場所:〒603-8042 京都府京都市北区上賀茂深泥池町

Map:https://goo.gl/maps/wbjqFS51bAD2

もし心霊スポット全国大会があったなら上位入賞確実な京都代表・深泥池。そのいわく付きエピソードは落語でいう「まんじゅうこわい」レベルの日本心霊体験談の超定番なのだ。タクシーの運転手さんが「深泥池まで」という女性を拾い、池に着いた後ふと後部座席を見ると女性の姿はなくシートがぐっしょり濡れていた……ギャーー!!という例のアレの発祥の地とされている。
さて読み方からおぞましい深泥池。実際にはどうだろうか。池の周りを歩き、怖いといわれる要素を考えてみた。池のほとりにある病院、もしくは夜になると街灯のない池のさびしさだろうか。池を見る位置によっては湿地そのものの気味の悪いであろう雰囲気を出すポイントがあることがわかった。しかし池の周囲にはアパートがある。もしそこの住人や病院関係者が夜タクシーを拾ったとして乗車拒否されるのだろうか。
否。それは一度も深泥池に来たことのない人々が面白がっていうだけだ。池の淵には春にはきっと美しいであろう桜が蕾をつけており、脇の深泥池児童公園では子供達が遊んでいる。池を囲む道を犬の散歩をするおじいさんがのんびり歩いている。また水面には向こうの山が映り青と緑のコントラストが美しい。予想に反し深泥池は平和だ。
そしてなんと深泥池は氷河期からの生態系を持つ動植物が数多く生息している。そのため国の天然記念物に指定されている。北方の植物の南限として確認されたり、食虫植物も存在していたりと貴重な環境となっている。中でも昆虫が主力であり、トンボは60種類も見つかっている。希少なものはゲンゴロウとアメンボの仲間だそうだ。

深泥池
うーむ、国の指定を受ける心霊スポットというのは前代未聞である。さすが京都代表である。深い泥の池と書くだけあって底力のある池には間違い無いようだ。有名エピソードの個人的な見解では、座席で粗相した若い女のコが恥ずかしさのあまりそっとドアを開け走り去ったのだと私は思う。ちなみに冬はカモがいます。

船岡山

場所:〒603-8227京都市北区紫野北舟岡町42他

Map:https://goo.gl/maps/Wqw1rTQh5S92

船岡山は船に似ている地形の小高い丘、のように見せかけて標高112メートルのれっきとした山である。三角点が頂上に埋め込まれていて低いなりにも国土地理院お墨付きの地点なのがわかる。
古くは聖徳太子の時代から表記があるとされる船岡。この地は平安京の朱雀大路の真北にあることでも知られる。それゆえ船岡山は「平安京四神」の一つ、北の玄武として陰陽道の大将軍神社とともに方位神として京都の守護を担ってきた。化外の地から京の都に入ろうとする幽鬼を防いでいたパワースポットである船岡山がいかに怪奇スポットになってしまったのか。
さてその昔、保元の乱(1156)の後、敗北した源為義(みなもと ためよし)とその子供達が、実の息子である長男の源義朝(みなもと よしとも)により船岡山にて処刑されている。因みに源義朝は鎌倉幕府を開いた源頼朝・牛若丸の源義経らの父である。
さらに船岡山はその地形ゆえ日本史最大級の戦い、応仁の乱(1467-1477)の陣地として利用された過去を持つ。京都西陣地区の地名は西軍が船岡山に陣取ったことに由来している。なるほど、船岡山は主戦場の一部であり多くの血が流されたことも想像に難くない。
そして現代においても船岡山は血を吸い続ける。今から約30年前パトロール中の西陣署の警官が元警官にナイフで十数ヶ所刺され、奪われた拳銃で撃たれて殺されるという凶悪事件が起こった。それ以後も自殺体が発見される、誰もいないのに足音が迫ってくるなど過去1000年の邪気が血を呼んでいる。
その船岡山に登ってみた。船岡山公園という名称の通り高低差のある公園である。山の頂上からは京都五山送り火の左大文字が目の前に現れる。園内は広く、緑が茂っていて気持ちの良い雰囲気。近くの高校か大学かの柔道部がランニングをしていたり、散歩をしている人もいたりと船岡山公園は近隣住民の健康維持に一役買っている。そんな憩いの場所となっているこの地で多くの人が命を落としたとはみじんも考えられない。
船岡山公園を散策した後は歩いてすぐの船岡温泉でひとっ風呂浴びて帰ろう。船岡温泉は大正時代から営業しており国の文化財に指定されるほどの銭湯中の銭湯なのだ。ここでは割愛するが、船岡温泉の衝撃は行けばわかる。そして風呂の後はビール。西陣地区はオサレなカフェや飲み屋がたくさんある。ほろ酔いで帰る船岡山心霊レボートは以上。

厨子奥トンネル

厨子奥トンネル

場所:〒607-8429 京都府京都市山科区御陵荒巻町50

Map:https://goo.gl/maps/K71qA9HDsEu

厨子奥トンネルはまず、立地が素晴らしい。明智光秀をはじめ15000人もの首が飛んだ粟田口処刑場、処刑された罪人の遺体を掘って埋めたことに由来する「堀原」が転化したと考えられるホッパラ町、有名心霊スポットの東山トンネルや将軍塚、牛若丸時代の源義経が平家の侍を惨殺した後の刀を洗ったという血洗町などの怨霊ベルト地帯に厨子奥トンネルは近い。さすが罪人を隔離した山科は恨みのレベルが違う。
さてその厨子奥トンネル、御陵駅から徒歩15分ほど。真上はJRが走っており線路に分断された南北をつなぐトンネルとなっている。トンネルの北側の入口の壁には観音様が描かれており、この絵にイタズラをすると怪我をしたり精神をやられたりと呪いが降りかかるらしい。しかし、その理由は非常に納得できる。というのはトンネルの南北の入口は墓地となっており、描かれた観音様が慰霊をしていると考えられるためである。
私が足を運んだ時には観音像は消えていたが、墓場には何体ものお地蔵さんが並び死人の霊を見守っていた。レンガでできたトンネルは車は入れないものの自転車や歩行者の交通量はほどほどにあり、踏切のない線路の北と南をつなぐ通路として大いに寄与している。
しかしトンネルを挟む墓地には無縁仏の墓であろう石が積み上げられ、夜は不気味そのものである。暗くなれば人通りも少なくなるであろうことから「ちかん注意」の看板がそれを証明している。

そして私は故・水木しげる先生がかつて「墓場は落ち着く」と発言していたことを思い出し、この霊園の墓石を撮影していた時にそれは起こった。カメラ(iphone)の調子がおかしい。標準装備のカメラアプリを起動していたのだが、画像の一部がエフェクトがかかったように色調が明らかに変わっている。さらに風景が二重になっている。なんだこれは。全体ならまだしも一部分だけ変色している。ここに眠る魂が何かを訴えているのだろうか。私は必死にシャッターボタンをタップした。
ここでお決まりなら画像が残ってないという話になるのだが、心霊ハンターの私にはその手は通用しない。実際の写真を載せようと思う。これがその時の写真である。

厨子奥トンネル2

これまで数々の心霊スポットに赴いては自分の「零感」を皮肉にも証明してきたのだが、厨子奥トンネルは違った。人生初の霊との接触記念となった。おそるべし呪怨の地、山科。厨子奥トンネルに行く際には痴漢に注意してください。

 

宇治川ライン

宇治川ライン

Map:https://goo.gl/maps/i9JyVwGxXtw

正式名称は滋賀県道・京都府道3号大津南郷宇治線。京都府宇治市と滋賀県大津市をつなぐ抜け道となっている。この道は宇治川瀬田川沿いを走っているため車窓からの景色が美しく人気のドライブコースとなっている。人気の秘密は景色だけではなく、信号がないことやワインディングが豊富にある峠道だ。週末には多くのバイクやスポーツカーがコーナリングを楽しみ走り去って行く。
それゆえ当然の帰結なのだが京都滋賀を代表する屈指のツーリングコースであるため二輪の事故が多発している。特に原付・二輪免許取り立ての浮かれている高校生を締め出すためと思われる夏期休暇限定での二輪通行止めが行われる。あからさまな対策を取る京都府警に好感が持てる。最近では自転車ブームもあり対自動車事故の防止の役割もあると思われる。(全二輪車、宇治市天ヶ瀬・宵待橋間7月20日から8月31日/終日)
このように宇治川ラインは走り屋たちの聖地である。猛スピードでコーナーに突っ込んだ後、曲がりきれずにダムの湖面にダイブしそのままドザエモンとして生まれ変わる話や、バイクがコーナーで大きく膨れて対向車線の大型トラックに衝突、その後礫死体となる話など事故は絶えることがない。これまで多くのライダーの命を奪っている宇治川ラインは、道路脇に人が立つとか、首だけ潰されたライダーがまだ走っているといういわゆる首なしライダーの噂がまことしやかに囁かれている。
宇治川ライン唯一のT字路である宵待橋もまた曰く付きの場所だ。宵待橋は飛び降り自殺の名所となっており、ここから湖に沈んだ人間は流され下流の天ヶ瀬ダムに引っかかるというのだ。深夜に橋の上にぼーっと立っている人を見たという目撃談もある。他にもメルトモ連続殺人事件の死体遺棄現場ともなっており恨み節に拍車をかけている。
私もこの宇治川ラインをバイクで走ってみた。宇治の平等院を通り過ぎ、湖面を横目にチラ見しながらブンブン流していた。少しでも走れば宇治川ラインはバイク野郎にとっての聖地だというのがわかる。谷とダムの湖面、そして空。幾何学的な美しさは日本庭園の構図さながらである。それぞれの持つ色の調和がとれていて素晴らしい。時間帯は昼間であったため怪奇現象に遭遇することはなかったが、前を走る車がなければ快適なツーリングコースに間違いない。私のバイクはレース用ではなく街乗り用のデザインと設計なので、残念ながら難易度0の飛び込みやダムまでの潜水、さらにはトレーラーと相撲を取るといった鉄人レースをすることもなかった。ライダーの皆さんへ改めてオススメしたいスポットと言える。
スピード狂・ローリング族へ告ぐ。他人を巻き込む前に土左衛門になるべし!

落合橋と赤橋トンネル

落合橋

場所:京都府京都市右京区 府道50号線

Map:https://goo.gl/maps/DyCVGJXYcW22

今回の京都心霊スポット巡りで最も後味が悪かったのは落合橋と赤橋トンネルだ。場所は毎度お馴染み化野念仏寺の前の道をまっすぐ行くと愛宕神社一の鳥居があり、三叉路になっている。これを右に行くと清滝トンネルにつながるが、今回は左に曲がり府道50号に入る。この先本当に続いているのか疑わしい山道に入って行く。後は道なりに進むのみ。対向車が来れば離合のしようのない薄暗く狭い道を登って行く。頭上に嵐山高尾パークウェイが通る場所が六丁峠である。峠を下り、ある地点まで来ると鋭く切り込んだ渓谷と谷底を流れる桂川の美しく雄大な景観が飛び込んでくる。これが保津峡かと感動した。息を飲むような風景を見て心霊スポットとかどうでも良いような気になっていた。しかしこれが間違いだった。
その場所はわかりやすい。清滝川が桂川に合流する地点にかけられた橋とトンネルが現れる。赤い欄干の橋を渡るとすぐトンネルになっている。東海自然歩道にも繋がっているせいかトレッキング中の中高年の姿もよく見かけた。実際に橋を渡りトンネルをくぐるとなんのことはない。晩秋に行ったため赤い橋は紅葉に溶け込み、下には清流が流れ心が洗われるような気持ちがした。自然を感じる気持ちの良い場所だ・・・この時点で帰ればよかった。

 

心霊スポットと言われるほどだ。何かあるはず、とアスファルトをそれて獣道に入り周りを見回していると見つけてしまった。花だ。これは献花。こんな交通量のないところで、どう考えても交通事故ではない。自殺だ。橋から身投げをするというのは噂だけではないようだ。やってしまった。噂ではなく本当の自殺現場に来てしまうとは。背筋が少し寒くなったが手を合わせた後、気を取り直してトンネル周囲を散策した。するとトンネル横から河原に下りられそうな脇道がある。行ってみようと思ったのがまた過ちであった。何か岩の下に置いてある。なんだろうと近くにつれ嫌な予感が当たったことに気づいた。また献花である。どうやらこの岩の上から飛び降りたようである。この巨岩は下の河原から一枚岩であり、高さは20メートルはある。下には水ではなく石だらけの地面がむき出しになっている。人間が死ぬには十分な位置エネルギーを持っている。その時の映像がこれ↓

その後、私は河原まで下りてみた。透き通る水がゆっくりと流れ、鳥の鳴き声がしている。どことなく寂しい。このような場所では誰も見つけてくれないだろう。ここで亡くなった人のことを考えていると、とてつもなく悲しい思いがしてきた。そのとき背後からガサガサ!!と音がして私は口から心臓が飛び出たかと思った。振り向くと保津川下りをしてきたカヌーのオッサン連中だった。なぜかこの河原に上陸しお昼ごはんを食べ始めた。今回一番怖かったのはオフロード用の道を街乗りバイクで来たことでも橋を渡りトンネルを歩いたことでもない。突然湧いて出て来ておにぎりを頬張るおっさんたちであった。

血の池

血の池

場所:〒616-8445 京都府京都市右京区嵯峨観空寺岡崎町32-1

Map:https://goo.gl/maps/jhHgu2QktES2

嵐山方面、大覚寺付近から住宅や田園に沿う小道に入ると突然現れる嵯峨天皇陵。間口の狭い入り口は天皇陵とは思えないほど。京を都とした桓武天皇の息子として誕生し、絶大な権力のもと平安初期の安定した治世をおこなった嵯峨天皇のお墓としてはあまり似つかわしくない玄関である。
さてこの天皇陵は昔から奇怪な噂の絶えない「血の池」という赤い池がある。皇女が身を投げた、首を切り落とした刀を洗った、入水自殺、殺害現場などなど真相は定かでは無いがおぞましいエピソードばかり。そのため血の池を見ると呪われる、怪我をすると噂されている。確かにこれだけの事件が起こっていれば何が起きても不思議はなさそうだ。
その血の池を目指し嵯峨天皇陵に足を踏み入れた。目の前にある階段を登る。くの字になっている階段を曲がれば神明系の鳥居が見えてくるはずだ。おや、まだ階段が続いている。次の角を曲がれば碑があるはず。しかしまだ階段。次こそは・・・という淡い期待を延々と裏切られ続け、とにかく階段を登って登って登りまくった。ふと振り返ると京都の町が眼下に広がっている。なんて見晴らしの良い景色。これだから登山はやめられない・・・ってそうじゃねえだろ!という汗だくでのセルフボケツッコミがきれいにキマった頃ようやく御陵が迎えてくれた。長かった。あとで調べるとこの心臓破りの階段は九十九(つづら)折りと呼ばれているらしい。権勢をふるった天皇の墓だもの、そりゃ、ちょっとした山になってるよね。
登山にシフトした頭を血の池探索に戻す。まず一礼して墓の裏を目指す。(墓といっても山全体が墓なのだが便宜的に)墓の脇から裏手に延びる草に囲まれた細い道を進む。
すると池が現れた。想像より小さめ。目立たない。水たまりにしては大きいし、これだろうか?と思案しながらよく見ると、確かに赤っぽい。がどちらかというと茶色。これはこの池が血をすすり続けたせいというより土壌の問題である。墓のモニュメントの裏にあって、赤っぽくて誰も近寄らない。鬱蒼とした草木の中にあるという気味の悪い雰囲気。なるほど心霊スポットになる条件が整っている。

しかし今回の検証で、血の池を見ると怪我をするという噂の真相は疲労にあるということがわかった。やはりこれだけの勾配で階段が続くと下りで足を絡ませ怪我をする人も出てくるだろう。血の池まで行く際にはランニングシューズや動きやすい服を用意して準備運動を念入りに済ませてから参詣してほしい。
そこで私としては血の池を心霊ではなくトレッキングスポットとしてオススメしたい。ふもとから1日1回血の池まで往復すれば、脂肪は燃焼され相当量の筋肉がつくのは間違いない。高いお金を払って筋肉プログラムに加入する必要は一切ないのだ。これぞ名付けて血の池健康法!もの凄くハードな響きだ。お試しあれ

 

貴布禰総本宮 貴船神社

貴船

場所:〒601-1112 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180

Map:https://goo.gl/maps/mCiz4NiVDfM2

今度の心霊スポット探訪で貴船神社が一番背筋が凍った。やめておけば良かったと心底思った。
縁結びで名高い貴船神社であるが、実は真逆の顔が存在する。ここは呪いの聖地となっているのだ。かの有名な丑の刻参り伝説の発祥の地である。愛憎劇というだけあって愛が深ければ深いほど、業の深い恨みに転化しやすい。そのエピソードは日本の古典からみることができる。裏の平家物語ともいうべき『屋代本平家物語』の「剣巻」にルーツがある。
要約するとこうである。嵯峨天皇の時代(800年代前半)、嫉妬に苦しむ貴族の娘が貴船神社に7日間こもり、妬ましい女を取り殺すため自身を鬼神に変えるよう頼んだ。貴船大明神から、姿を変え宇治川に21日間浸かれとのお告げがあった。その姿とは①長い髪を五つに分けその先と尖らせる②顔を朱(硫化水銀)で赤くする③体は丹(四酸化三鉛)で赤く塗りたくる④鉄輪(三本脚が付いた五徳)を逆さに頭に載せる④鉄輪の3本の脚に松明を燃やす⑤両端を燃やした松明を口にくわえる、というこの世のものとは思えない異様な出で立ちであった。この格好で鬼の形相をした女を見たものはあまりの恐ろしさに死人が出たという。さて、この姿で宇治川に37日浸かると貴船の大明神により無事(?)鬼となって恋敵だけではなく男も女も殺戮の限りを尽くした。というのが鬼女であり守護神ともされる「橋姫」伝説の発端である。この伝説を元に謡曲「鉄輪」が生まれた。
注目すべきは、この時点ではまだ藁人形に釘を打ち付けていないことだ。そして時は流れ江戸時代に丑の刻参りのスタイルが現代に伝わるものになったとされる。頭には火を灯したロウソクを三本、顔は真っ白にするが口は紅で赤く、歯はお歯黒で黒くする。口には櫛をくわえ、白い単衣の着物、胸元には鏡を下げ、足は下駄をはく。藁人形には呪う相手の体の一部を入れ準備完了だ。あとは貴船の神力が最も高まる丑の刻とされる午前2時前後に五寸釘で藁人形を木に打ち付けるのみ。これを7日間ひたすら呪詛を込めて続けるのだ。一応、試される人がいるかもしれないのでここで注意点を一つ。この呪っている間絶対に人に見られてはいけない。なぜなら、もしも見られてしまった場合呪いが効かないどころか、かけた呪いが自分に返ってくるからである。
その貴船神社に参詣も兼ねて、この2020年目前の近未来感しかない現代に呪いというアナクロ過ぎる所業を本当にやっているのかその痕跡を求めて行ってきた。その日、貴船神社では神前結婚が行われていた。本宮に続く赤灯篭の階段を白無垢と紋付袴の新郎新婦が手を取り合って登っている。この二人を前に神聖な気持ちになってしまった。今回は縁結びとは反対の貴船の裏の顔の探索である。俺はなんて俗なことをしに来ているのだろうかと一瞬迷いが生じたが、気を取り直し最も霊験あらたかな貴船創建の地である奥宮へと向かった。
奥宮に手を合わせた後、周辺の木々を見てまわる。しかし木が細かったり足場が悪かったりと釘を打つには心もとない。社殿は道路のすぐ脇にあるため人の目もある。やはり時代錯誤すぎる丑の刻参りなど、現代でやろうとする人間はさすがにいないのだろうか・・・いや、日本最強の呪いの神社でもあるわけだ。必ずどこかでやっているはずだ。そこで自分が釘を打つとしたらどこだろうと考えた結果、その場所がわかった気がした。
場所は明かせないが、本当にあった。大木に釘が刺さっている。寒気が全身を包んだ。それも一本とか二本ではない。中には錆びて枝のように見えるものや、腐食でボロボロになっているもの、釘穴は無数に空いている。目を疑った。それも昔の跡ではない。自分と同じ目線にある、ということは今もやっているということだ。頭から冷や水を浴びせられた気分だ。午前二時に頭にロウソクを灯してまで釘を打つほど殺したい相手がいるのだろうか。人間の心の暗闇が底なしであることを思い知らされた。突き出ている釘でも触ろうもんなら帰り道に事故ると思って記念撮影だけで勘弁しておいた。

貴船

見学の方へ。もしも午前二時まで待ち、万が一何か見てしまっては自分の命は保証してはくれそうにないので日が高いうちに散策することをオススメする。死んだ人間より生きている人間の方がはるかに怖いことくらいみんなよく知っている。山崎ハコの「呪い」を聴きながら歩くと尚良し。
呪う人へ。釘を打つ際、足場が非常に悪いためできれば下駄ではなくトレッキングシューズなど滑りにくい履物を選びましょう。そして釘を打つと貴船の木が痛んでかわいそうなので木は自前の持ち込みでお願いします。さらに頭にロウソクをつけて、釘を打つといったヘッドバンキングは山火事の恐れがあるため寿命長持ちLEDライトが山のためにも経済的にも安心です。さらに山への立ち入りは禁じられていますので、ご自宅で行うようにしてください。以上を守って健全な丑の刻参りにしていきましょう。

 

京都は深い。まだまだ闇がある。歴史があるということは人間の生死が詰まっているということだ。さらに今度の探索では人間の奥深さに加え、京都の地形が持つ織りなす自然を感じることができた。この地形だからこそ人が集まり歴史が生まれていくものだと気付かされた。心霊スポットの旅は単なる噂の検証に終わらず、歴史・地理の造詣が深まる。ということで興味のあるオカルトマニアの諸君、ここで常識外れの提言をしておく。「曰く付きの場所は昼に行くべし」これは何も今回は霊との邂逅があってビビって言っているわけではない。断じてない!

 

一体どれだけあるんだ!更なる京都・心霊スポットはこちら↓

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