恵文社一乗寺店

本屋と女の共犯関係 #2「私の定位置」恵文社一乗寺店

米本 和弘

「私の定位置 」恵文社一乗寺店

恵文社一乗寺店_イラスト
イラスト:PANKICHI

 彼女の休日の始め方はだいたい決まっていた。仕事の日よりも一時間だけ遅くまで寝る。朝食を摂らないことで家を出る時間は平日と同じになる。自宅から駅までの道中は通勤経路と同じだったが、週末の朝は人通りが少なく、空気が澄んでいる。駅に着くと分岐点がやってくる。通勤では淀屋橋方面の電車に乗るが、この日は出町柳行きの電車に乗った。

 彼女にはお気に入りのコースがある。鴨川沿いの階段に腰掛けて通り過ぎていく人たちを十五分ほど眺めてから、叡山電鉄に乗り、恵文社一乗寺店に向かう。書籍、雑貨、ギャラリーをぐるっと見終わると、文学コーナーに戻り本を一冊購入する。近くのラーメン屋でさくっと腹を満たした後、四条河原町まで移動してカフェで買ったばかりの本を読むコースだ。彼女は一冊を読み終えるまで、帰ろうとしなかった。ましてや、自宅で読むことはない。そのため、カフェを何件もはしごすることになるのだが、長編小説になると尚のこと大変だった。

 昔、会社の同僚とランチに行った際、趣味の話になった。そこで彼女が読書と答えたところ「意外ね、あなたってもっとアクティブだと思っていたわ」と言われたことがあった。読書のどこが非アクティブなのだろうと、悶々としている間に昼休憩が終わった。彼女は昔から自分の話題になると、意外という言葉を良く投げかけられた。その度に何故か損した気分になり、いつしか自分のことを話そうとしなくなっていた。

 今日も彼女は本を物色している。何の本を読むかで一日の充実度が決定するのだから、重要な行程だった。普段から雑誌を読まないわけでもなく、おしゃれな装丁に目が引かれないわけでもない。ただ、それらは平日にふらっと立ち寄る本屋で事足りていたし、彼女にとっての休日、彼女にとっての読書スタイルとは一線を画した。彼女はこの日も趣味に沿った一冊の小説を手にしてレジに向かった。この後、ラーメン屋を経由して、四条河原町に向かうことも規定路線だった。

 しかし、恵文社は強すぎるこだわりが時に視野を狭めることも彼女に伝えた。

 これまで、彼女にとっての文学とは海外文学を意味していた。恵文社一乗寺店に通い始めたのも、海外文学の品揃えが彼女の趣味と一致したからだった。しかし、彼女がほんの小さな好奇心で日本文学棚の本を手にして読んだところ、その面白さにはまり込み、海外にはない日本的な表現の豊かさがあることを知った。彼女は少し恥ずかしくなった。これまでもずっと目の前にあった本を、素通りしていたこと。その原因が会社の同僚と同じだったことが恥ずかしかった。

 彼女の凝り固まった考え方は、恵文社が本に込めたコンテクストによって崩された。彼女が次に好奇心をもつ棚はどこになるのか。いつやってくるのか。それもまた本屋と彼女が作り出すひとつの共犯関係である。

恵文社一乗寺店

住所:京都市左京区一乗寺払殿町10
Web:http://www.keibunsha-store.com/

出典「本屋と女の共犯関係」

2016年11月1日発行
イラスト:PANKICHI
文 :本野 ひかり
表紙・デザイン:都築 麻美子
総合プロデュース:米本 和弘(THE読書ズ)
※本コンテンツ掲載にあたり、一部加筆修正をしております

【編集後記】

 京都にはメディアで紹介をされ、全国からお客さんが来店するような本屋がいくつもあります。
町の至る所にある同じ規模の小さな本屋さんと何が違うのかというと、外観・内装がおしゃれ(個性的)だったり、販売している本のセレクトが面白かったり、店長・店員さんにカリスマ性があったりします。

 この本で紹介している8店舗が選ばれた理由ですが、単純に「僕が好きで通ってた本屋さん」です。
前回から引っ張っておいて、つまらない理由でごめんなさい。
本が好きすぎて、本屋も好きすぎて、東京に住んでいる時から通い、恋い焦がれていた本屋さんたちなのです(一部、京都に来てから知り、ファンになった店もあります)

 

 気合い十分で取り組んだので、どの角度で切り取れば、その本屋さんの雰囲気を表現できるのか、登場人物はどのような服を着た女性がそのお店「ぽい」のか、その女性がどのような人生を歩んで今その場所に立っているのか考えに考え抜きました。
取材に出向き、店主さんにたくさんお話を伺い、僕の勝手なイメージに偏らないようにも気をつけました。
僕には絵心がないので、それを言葉でPANKICHIさんに伝え、ラフを描いてもらっては、夜な夜な連絡し何度も描き直していただきました。

 つまり、「舞台となったお店・店員さんの想い」と「登場人物と背景の設定・プロット」が細部まで練られた上で、イラスト・小説制作へ取り掛かったということになります。

 では、恵文社一乗寺店さんを題材とした「私の定位置」には、店員さんのどのような想いと設定があったのかというと。
ブックマネージャー鎌田さんの「海外文学に対する熱い想い」を元にしています。

 

 僕は学生時代京都に住んでいたのですが、恵文社さんには足繁く通っていました。
小説を読み漁っていた趣向から、恵文社さんでも猫まっしぐらに文学棚に引き寄せられていました。
それが、当時から10年以上が過ぎ、一歩下がったところから恵文社さんを眺めた時に「おしゃれな雑誌も一杯あるし、カルチャー系の品揃えも豊富、そもそもおしゃれ雑貨もあるし、ギャラリーも併設、奥にはいつの間にかイベントも行われるスペースもあるではないか」と気がつきました。

 周りのお客さんにも目をやると、おしゃれな女性客が多い。これも知らなかった。僕にとって恵文社さんは「小説のセレクトが好みのお店」だったのですが、別のお客さんからすると「おしゃれで雑貨も本も買えるお店」であったり、「クリエイティブなインスピレーショを駆り立ててくれるお店」でもあったのです。

 

 そのような様々なお客さんの期待にも応えながらも、「海外文学もさらに充実させていきたい」とにこにこしながら語られる鎌田さんのお話を伺ったことで、本屋と登場人物の女性との相関関係を「期待」というテーマで結びつけたのがこの作品になります。

 女性の頭の上に浮かんでいる文字を綺麗に並べると「人っていうのはいつだって見当違いなものに拍手をする」となります。
これは、アメリカの有名な小説家サリンジャーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」に出てくるワンフレーズです。
PANKICHIさんが学生時代に好んで読んでいた作品でもあり、いくつかの候補の中からテーマにもぴったりなこのフレーズ採用することになりました。

 

 他の作品も同じように、「舞台となったお店・店員さんの想い」と「登場人物と背景の設定」がベースにあります。
それらは文字オタクで視野の狭い僕の頭の中を介在してはいるけれど、絵を描いたPANKICHIさんの頭の中と、文章を書いた本野ひかりさんの頭の中も介在し、繰り返し推敲を重ねられた挙げ句に吐き出された作品たちです。

 次回はミシマ社の本屋さんを舞台とした「ドーナツ」と、出版物の流通についてちょっとだけお話できればと思います。

 

総合ブロデューサー/米本和弘(THE読書ズ)

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米本 和弘
マーケティングコンサルタント、Webクリエイター、ライター。広告代理店に勤めたのち独立。THE読書ズ、ニジノ絵本屋スタッフとしても活動中。

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