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「切なくて強い和泉式部」詳しすぎる、辻井輝幸の京都随想記

辻井 輝幸

第四回「和泉式部について」

私は和泉式部のエピソードが好きです。和泉式部は男性遍歴が多く、藤原道長に「浮かれ女(浮気女)」、とからかわれます。すると、和泉式部は「ほっといて、ちょうだい」と言い返しました。どうして、最高権力者の道長にそんなことが言えたかというと、和歌で言い返したからなんです。

越えもせず 越さずもあらむ 逢坂の 関守ならぬ 人なとがめそ

意訳すると
誰と恋愛しようと、私の勝手でしょ。あなたには関係ないんですから、ほっといて・・・。

現在は男女の仲を「一線を越える、越えないで表現する。」ようですが、1000年前の平安時代では「逢坂の関」を使って表現したみたいですね。

よく勅撰和歌集などで『天皇』が詠んだ歌と『詠み人知らず』と名もなき人が詠んだ歌も同じ様に扱われますよね。歌の世界では男女の差も身分の上下もないんです。

 

もうひとつ、以前、蹴鞠をしている人が、「平安時代は身分制社会で家の格でどこまで出世できるか、はっきりと決められていて、それを打ち破って出世しようと蹴鞠の上達を目指した。」といわれました。

蹴鞠が上手くなることというのはつまり、相手が蹴りやすいように蹴り上げるという事です。この人と蹴鞠をすると楽しいとなれば、出世できるという事です。昨年の大河ドラマの「おんな城主・直虎」のなかで今川氏真(うじざね)役の尾上松也さんが蹴鞠をされるシーンがありました。蹴鞠はセレブの人達の付き合いの手段だったのです。

そのうちに、お茶がそういった人達の付き合いの手段になり、今なら安倍総理とトランプ大統領の付き合い方を見ても分かるように、現在はその手段がゴルフなんでしょうか。

 

和泉式部の娘は小式部内侍です。小倉百人一首の「大江山、生野の道も遠ければ、まだ文もみず、天橋立」という名歌で有名です。ところが、小式部内侍は出産の時に亡くなってしまいます。25,6歳の時でしょうか。小式部内侍の赤ちゃんは無事に生まれたのですが。和泉式部は娘を非常に可愛がっていたので、それが理由なのか、和泉式部は後に出家して尼さんになってしまいます。やはり、娘に先立たれたことが関係しているのでしょうか?

和泉式部が小式部内侍の赤ちゃん、つまり自分の孫を抱きながら読んだ歌が残っています。

とどめおきて 誰をあわれと おもうらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり

あなたは母親のこの私と、この子のどちらが心残りで逝ってしまったのでしょうか?やはり、この子よね。私も私の母を亡くした時よりも、子供のあなたを亡くした時のほうがずっと悲しいんですから。

私は小倉百人一首の「あらざらむ この世の外の 思い出に 今ひとたびの 逢う事もがな」
という歌よりも、子供に先立たれた親の悲しみが出ていて、好きですけれど。

和泉式部は二回結婚していますが、二度目の夫の藤原(平井)保昌のプロポーズに「そんなに私のことが好きなら、御所の梅の木の枝を折って、私にちょうだい。」といいます。

それは大変な罪になりますが、保昌は夜中に忍び込み梅の木の枝を折って、和泉式部に差し出したところの場面が祇園祭の「保昌山(ほうしょうやま)」になります。保昌(やすまさ)を音読みして「ほうしょう」と読ませています。「保昌山」ではやはり恋愛成就の護符が授与されます。保昌は「丹後守」と呼ばれ、和泉式部は夫の保昌について丹後に行き、その時に娘の小式部内侍の有名なエピソードが生まれました。

藤原定頼は小式部内侍をからかいます。「さぞ、お困りでしょうね?文は出しましたか?使者は戻ってきましたか?」と。その頃、歌合の会で小式部内侍は歌の名人の和泉式部に歌を作ってもらっているんじゃないかという噂があったのです。そう言われて、小式部内侍が言ったのが、

大江山 生野の道も 遠ければ まだ文も見ず 天橋立

大江山へ行く野の道(生野の道)は遠いので、まだ行ったことはありません(手紙なんて見たこともありませんし)。天の橋立なんて。

この歌で小式部内侍は母親の和泉式部に代作は頼んでいない事を証明してみせました。
歌を詠まれたら、歌で返すのが礼儀なんですけど(返歌)、定頼はとてもかなわないと逃げて行ったと言われています。

京都の新京極通には和泉式部ゆかりの誠心院という寺院があります。繁華街のど真ん中にある寺院ですが、観光客はあまり訪れないところです。付近には本能寺や誓願寺など有名寺院も多く、京都市中心部に来られた時は寄ってみられてはどうでしょうか。

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辻井 輝幸

辻井 輝幸

【京都観光ガイド】1956年、京都市下京区の生まれ。京都産業大学経済学部卒。子供の頃の遊び場は東本願寺と西本願寺。京都の事なら、何でも興味あり。得意分野は「美術(絵画)・建築(昭和初期以前)・天文(歴史関連)」、趣味は「歩くこと(1日に4万歩以上歩くことも)」、資格は「京都観光文化検定1級・茶道文化検定2級を所持」
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