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「途中下山はもったいない?伏見稲荷大社のススメ」詳しすぎる、辻井輝幸の京都随想記

辻井 輝幸

第六回 伏見稲荷大社の思い出

今回は、(世界遺産ではありませんが)今人気の「伏見稲荷大社」を取り上げたいと思います。実は、私の実家は氏子地域にあります。五条通より南側は「伏見稲荷大社」の氏子で、五条通より北側は「八坂神社」の氏子になります。

ここでいう五条通は、安土桃山時代よりも前の五条通の意味で、現在の松原通になります。松原通を東へ行くと清水寺に行くことができます。安土桃山時代に豊臣秀吉は方広寺という大寺院を造りますが、多くの人は清水寺に参拝に行きます。そこで、秀吉は方広寺のほうに人々を参拝させるために五条通を南の方に付け替えます(現在の地図を見ていただくと三条通と四条通の間よりも四条通と五条通の間の方が長いことがわかります)。

でも、やはり清水寺に足が向くのですね(そこで秀吉は方広寺の正面に正面通を通し、正面橋を鴨川に架けます)。

伏見区にある伏見稲荷大社の氏子地域は伏見区にはないんです。南区と下京区になります。私の実家(下京区)からの距離も伏見稲荷大社よりも八坂神社の方が近いので、子供の頃ウロウロしたのは八坂神社の方が多いですね(近くに繁華街があることが主な理由ですけど)。

実は、伏見稲荷大社の前は藤森神社の氏子地域になります。この件について、ここでは詳しくは書きません。でも、京都の氏子地域の場所を見ると結構、面白いです。

私が子供の頃、町内では毎年、貸し切りバスで伏見稲荷大社へお詣りに行っていました。子供の私は「京都に沢山、神社があるのにどうして毎年、伏見稲荷大社にお詣りするのだろう。」と思っていましたが、実家の場所は氏子地域だったんですね。

伏見稲荷大社といえば、「千本鳥居」をイメージしますよね。他府県の観光客の方で、結構千くらいの数だと思っている人が多いです。「千」というのは数が多いという表現の一つです(「千手観音」「お千度参り」など・・・)。子供の頃は鳥居のトンネルの外へ出るのは怖かったです。鳥居の外は異界の世界へ魔物に引きずり込まれるような恐怖感がありました。現在の千本鳥居はいつも人が一杯ですが、昔は気がつくと前も後も誰も人がいない時があって、恐怖を感じた記憶があります。

千本鳥居は願い事がある人や願いが叶った人が奉納するのですが、木製(杉です)なので、腐って20年位で入れ替えるといわれています。でも、現在は20年も持たないことが多いようです(場所によって傷み具合がかなり違うみたいですが)。石造りの鳥居は長持ちするので、明治時代の奇術師の名前などを見つけたりして、鳥居の名前を見るのも結構、面白いですよ。

 

ガイドの私が伏見稲荷大社をご案内していて、残念に思うのは稲荷山の中腹の四ツ辻くらいで、山を下りられる方が多いことです。体力や時間の問題があるんでしょうけど……。 伏見稲荷大社では七神蹟という特に重要な場所がありますが、それは四ツ辻よりも上の方にあるんです。

子供の頃、その内の一つ「御膳谷奉拝所(おぜんたに ほうはいじょ)」に一人で行き、周りに人影もなく、(夕方だったのか雨が降りそうだったのか、忘れましたが)暗くて怖かった記憶があります。でも、大人になった今は霊気漂う雰囲気は俗世界から逃避した感じがあり、心が少し洗われた気がします。まぁ、それだけ私の心が汚れてしまったという事でしょうか。

荒神峯(田中社)の奥には視界の開けた所があり、天気のいい日には大阪の高層ビル群を見る事ができます(その下の四ツ辻の展望エリアでは方角的に大阪方面を見る事は難しいです)また、中腹の四ツ辻の上の荒神峯(田中社)の階段の脇には「京都一周トレイル」のトレッキングコースの入り口があり、東福寺の方に抜けることができます(京都一周トレイルコースについては機会があれば、改めて書く予定です)。

ここで「お塚」というのを説明しなければなりません。それは稲荷大神に別名をつけて信仰する人が、石にその別名を刻んで、奉納したもので、一万以上の数があるといわれます。伏見稲荷の霊的な雰囲気は「千本鳥居」だけで醸し出しているのではなく、「お塚」と(一部の展望エリアを除いて)木の覆われた山道が多いことも理由なんでしょう。

伏見稲荷大社について書き出すと、文字数がいくらあっても足りないくらい見所の多い所です。しかも、拝観料不要です(八坂神社も同じです)。私が一番上の「一の峯」までガイドを依頼された時には下から往復3時間半くらいの時間を頂いています。以前は「一の峯」までお詣りすると往復だけなら2時間弱位の時間でしたが、今は人が多いのでもっと時間がかかりますね。私はたまに一日2往復することもありますが、昔の人は一日に7回上った人がいたとか。昔の人は本当にスゴイです。

京都には、世界遺産でなくても面白い所が沢山あります。どうぞ、京都に遊びにいらしてください。

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辻井 輝幸

辻井 輝幸

【京都観光ガイド】1956年、京都市下京区の生まれ。京都産業大学経済学部卒。子供の頃の遊び場は東本願寺と西本願寺。京都の事なら、何でも興味あり。得意分野は「美術(絵画)・建築(昭和初期以前)・天文(歴史関連)」、趣味は「歩くこと(1日に4万歩以上歩くことも)」、資格は「京都観光文化検定1級・茶道文化検定2級を所持」
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