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「日本最初の小学校 番組小学校とは?」詳しすぎる、辻井輝幸の京都随想記

辻井 輝幸

第九回 日本最初の小学校「番組小学校とは?」

「京都の小学校は他とどこが違うの?」と他の地域の方からは言われるかもしれません。
まず、成り立ちから他の地域と違います。以前にもこのコラムに書きましたように、明治になり明治天皇が東京に移られて、京都はすっかり、寂れてしまいました(人口が三分の二になってしまいます)。
そこで、京都の人達が考えたのは、まず子供たちの教育でした。
京都の将来を担う子供たちのことを真っ先に考えたのは賢明だったと思います。

 

日本初の学区制小学校は京都で生まれました(明治2年)。
それは「番組小学校(ばんぐみしょうがっこう)」と呼ばれます。
国の小学校制度より3年も早く整備されたのでした。
明治になった頃、京都には上京と下京しかなく、住民自治組織の町組というものが存在していました。
そして、町組は再編されて上京と下京で番号が付けられて「番組」と呼ばれるようになりました。
その「番組」を元に64校の「番組小学校」が創られます。

 

この「番組小学校」は地元の住民がお金を出して創った学校だということが最大の特徴です(足りない分は京都府から借りました)。
実は私の出身小学校も「番組小学校」です。
「番組小学校」は「上京(下京)第何番番組小学校」という呼び方を当初はしましたが、その内に新たに名前を付けられました。
その名の多くは中国の古典の「四書五経」などから採られたので、難しい名前の小学校が多いです。

 

私の小学生時代に木造校舎が老朽化して、建て直さないといけないようになりました。
でも、京都市の予算配分では、校舎の改築予算が確保される順番がだいぶ先になるという事でした。
それで、私の小学校では持っていた土地を売却してその代金を校舎の建築資金に充てました。
よく考えると、これって他の地域の公立校ではあまりないことなのかもしれませんね。
その土地は昔、OBが「後輩たちのために使ってください。」と寄贈してくれたものと聞いています。
50年以上前のことなので、どうなのかなぁと思って、学校関係者に伺うと「そういうことは、ありえます。
市立の小学校であっても、個々に不動産を所有しているところがいくつもありました。」と言われました。

 

京都の中心部の「番組小学校」は元々、地元の住民がお金を出し合って創った物です。
第二次大戦中、軍部は京都の小学校だけお上の物ではなく、思い通りにならない事に苛立ちます。
京都市は軍部と住民の板挟みになり、「悪いようにはしないから、建物だけでもお上の名義にして・・・。」という事になります。
ですから、京都市の学校関係者が閉校になった「番組小学校」のグラウンドに足を踏み入れるのを遠慮されています。
もし、グラウンドに足形をつけてしまった時は、箒でならさないといけないそうです。

 

京都の中心部は子供の数が減って、「番組小学校」は次々、閉校になっていきます(廃校という言葉はつかえないそうです)。
でも、不動産を売却することは出来ないんですよね。住民の物だったんですから。
住民の了解を得たものだけは転用ができました(旧明倫小学校は京都芸術センター、旧龍池小学校は京都国際マンガミュージアムなどになっています)。

 

明治時代の番組小学校の特徴は美術に関する授業が多かったことです。
京都の地場産業には「西陣織」、「友禅染」、「清水焼」、「京蒔絵」などの伝統産業が多く、美術の素養のある人材が求められたのです。
たくさんの職人、画家、陶芸家などが番組小学校から巣立って行きました。
京都では日本の美術史に名を残した芸術家たちの作品を比較的、身近に見る事ができます。
特に、京都に生まれ育った人ならば、子供の頃から見る機会が多いので、美術品を見る目を養う事になるかもしれません。

 

京都の芸術家たちの間には、ある慣習がありました。
それは、芸術家(画家や陶芸家や工芸家)として成功すれば、自分の出身小学校に自らの作品を寄贈することです。
日本画が多いようですが、洋画では「梅原龍三郎」が、陶芸作品では「北大路魯山人」が寄贈しています。
その数は2000点以上ともいわれます。
どうして、公立の小学校がそんなに多くの美術品を所蔵しているのか不思議に思われる方もおられるのですが、こんな理由があったのです。
でも、小学校の教員をしていた私の同級生は、「今は保管場所がないので、寄贈の申し出があってもお断りしている。」と言っていました。

 

旧明倫小学校出身の方とお話した時に「講堂に普通に木島櫻谷(このしまおうこく)の大きな絵が掛かっていました。」と言われました。
かつては、あちこちの小学校で子供が走り回っている廊下などに高価な絵が飾られていたみたいです。さすがに、今はそんなことはないですけど。

 

所蔵美術品は時々、京都市学校歴史博物館(旧開智小学校)でほんの一部ですが、展示されることがあります。
どうぞ、一度訪れてみてください。

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辻井 輝幸

辻井 輝幸

【京都観光ガイド】1956年、京都市下京区の生まれ。京都産業大学経済学部卒。子供の頃の遊び場は東本願寺と西本願寺。京都の事なら、何でも興味あり。得意分野は「美術(絵画)・建築(昭和初期以前)・天文(歴史関連)」、趣味は「歩くこと(1日に4万歩以上歩くことも)」、資格は「京都観光文化検定1級・茶道文化検定2級を所持」
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