はじまり 蛇の木
「蛇の木を、探してくれない?」
五月のある夜のことだった。
わたしは、知人の睦月さんから一枚の写真を見せられた。
その写真には、一本の木が映っていた。その木は、大蛇の首を思わせる形をしていた。彼女によると、京都市内の鞍馬山で4年前に撮影したのだという。
「まだ木が生えているかどうか、気になってて」
すっかり仕事で多忙を極める彼女の代わりに、わたしは快く引き受けることにした。
市内から日帰りで帰れる距離だったのと、めったに足を運ばない土地だったからだ。それに、付近にある貴船神社は恋愛にご利益のある場所として知られている。
また、丑の刻参りの発祥の地としても。
三週間後の土曜日に鞍馬山を訪れるつもりだと伝えると、睦月さんは笑顔でこう切り出した。
「みえださん、その山、ちょっと怖い話あるんだけど……」
どんな話ですか?上等です、聞かせてくださいよ。
わたしの顔には、そう描いてあったはずだ。
1 釘の痕
当日。
最寄り駅を降りてから、わたしたちは緩やかな坂をゆっくりと登っていた。わたしの他には、ヘイジくんとユミさん。ヘイジくんは浴衣に下駄。ユミさんは、真っ黒なゴシックロリータ・ファッションで着飾っていた。
わたしたちは、貴船神社に向かっていた。
「あのさ、なんで和装とゴスロリで来たの?」わたしが聞くと、
「日本人ですから」
「華がいるかなと思って……。紅一点ですし。なんて!」
二人が思い思いに、そう返す。
「……わかった。でも、二人とも、もっと歩きやすい格好で来なよ」
「みえださんだって、革靴じゃないですか!」ユミさんが、わたしを指差した。
そうそう、自己紹介がまだだった。
わたしの名前は、みえだゆあ。怪談グループ「クロイ匣(ハコ)」の主催を務めている。わたしの他には、ヘイジくんと、ユミさんと、トモくん(欠席)の4人で、日々怪談実話を集めている。わたしたちは、不思議な話や怖い話が好きな人たちの集まりだ。
メンバーの大半は、演劇活動と並行しながら怪談活動に勤しんでいる。だから、あまり頻繁には活動できないし、表に出ることも少ないけれど、マイペースに楽しく活動している。
今回は、メンバー三人で鞍馬山を訪れることにした。
わたしたちは、川沿いの坂道をゆっくりと登ってゆく。川のせせらぎが心地よくて、なんとものんびりしていて、とても丑の刻参りの名所が近くにあるとは思えなかった。
それに、観光客がひっきりなしに行き来している。自家用車やバイクも、バンバンやって来る。気を抜いていると、事故に遭いそうだ。
「観光地ですね……」ヘイジくんが、悲しそうにぼやいた。何のムードもないと言いたいのだろう。そう読み取ったのか、ユミさんが続けた。
「その前に、ここは心霊スポットじゃないから」
彼女の言葉に、ヘイジくんが驚いた。なにもそこまでと、こっちが驚いたほど。
「どういう意味ですか、ユミさん」
「そのまま。まず、丑の刻参りって、何が怖いかわかる?あっ、みえださんは言わないでね」
釘を刺されたわたしは、大人しく見ていることにした。
「人間です」
そう。真夜中の丑三つ時に、白装束に身を包んだ男女が、五寸釘と藁人形を手にして歩いていることだ。そんな奴らを怒らせたら、暴力に遭うに決まっている。
「正解。じゃあ、そういう人たちを相手に、般若心経とかファブリーズぶっかけるとか除霊の真似事をしたらどうなる?」
「頭に五寸釘を打ち込まれます」
「そういうこと。わかった?」
黙ったままだったので、わたしは助け舟を出すことにした。
「この場所でいちばん怖いのは、生きている人間の恨み辛みなんだよ」
「あと、ここは神社だしね。神さまに除霊とかお祓いなんて通じると思う?」ユミさんが、続ける。
「危険です。ぼくたちは除霊なんて出来ないしどうでもいいですし」
だから、ここは「心霊スポット」ではない。地元の人々に言わせれば、神秘的な場所であり、聖域だ。
そうこうしているうちに、貴船神社の結社に近づいてきた。石造りの階段に設置された春日灯篭のひとつひとつが、美しい。ここで参拝を済ませてから、境内のいちばん奥にある奥宮に向かった。
「それにしても、いまでも丑の刻参りってやってますか?」ユミさんが、つぶやいた。
「わからない。けど、難しそうだね」
観光客の往来だけではない。周囲には、川床や旅館などもある。監視カメラも所々に設置されている。なにより、貴船神社の敷地内は夜間になれば閉鎖されているはずだ。
それでも、睦月さんの言葉が脳裏を過ぎる。
「いまでも、地元の人たちが見回りしているの。早朝から、そういうのを見つけたら釘を抜いていってね……」
ぼんやり歩いていると、ついに奥宮に到着した。それとなく境内の木々を見ても、怪しげなものは見当たらない。監視カメラが、何台も設置されているぐらいだ。
わたしたちは、参拝を済ませてからベンチで一服することにした。歩き疲れたし、すっかり喉も乾いていた。他の二人も、くたびれていた。
わたしは、境内の隅に飾られている絵馬を見ることにした。他愛もない願い事が綴られた絵馬にほっこりしていると、それは不意に飛び込んできた。
名前・住所・電話番号・生年月日。
恨み辛みをぶつけたい相手の個人情報と、「かわりにころしてくださいおねがいします」と刻まれた茶色い文字。
その絵馬は、殺人依頼のようだった。
何よりも、そこに書かれている場所は、わたしの自宅の近所だった。
「これ、写真に撮っちゃダメなやつです。もう行きましょう」ユミさんが、声をかけた。
同感だった。
この絵馬を書いた人が、ここにまだいるかもしれないからだ。
奥宮を出ると、車道がずっと続いていた。より深く、森に入ることになるのだろう。
「もう少し、進んでみる?」
「疲れたし、さっさと鞍馬山に行きましょう」二人は、異口同音にそう言った。
わたしは、すこし考えてから、引き返すことにした。
川の上流から下るように、もと来た道を戻ってゆく。足取りは、やや重い。なにしろ、これから鞍馬山に登るのだから。空気は綺麗なのに、気分は落ち着かない。
すると、ヘイジくんが、並木道の木々を指差した。
「ユミさん、みえださん!これ、この木!!」
見てみると、一本の木に、小さな真円が穿たれていた。
まるで、五寸釘で藁人形を打ち付けた痕跡のように。
「キツツキや虫食い穴かもしれないぞ」
だが、他の木々には、そんな痕はひとつもない。
わたしたちは、写真を撮ってから、鞍馬寺の西門に向かった。
「正直、ビール飲みたいですね」ヘイジくんが、物欲しそうな目でわたしを見た。
「やめとけ。あとがつらいぞ」
「でも、飲みたいですね」ユミさんが、すこし笑った。
「終わったらな」
いま飲んだら、怪我をしてしまう気がしたのだ。
2 鞍馬山
ようやく、鞍馬寺の西門に到着した。入口には、木製の杖が何本も置かれていた。下山時に、返却すればいいという。時刻は、四時過ぎ。
「杖、使う?」
二人は、首を振った。二時間ほど歩けば、鞍馬山にある鞍馬寺の本殿に到着するはずだ。
「っし、行くぞ」
「あっ、二人とも待ってください。フーチ、持ってきていました」ヘイジくんが、小さな振り子を取り出した。それは、フーチと呼ばれるダウジング用の道具だった。
ダウジングというのは、二本の針金や振り子の揺れを利用して、地下に埋まっているモノを探すことだ。これが当たるとはまったく思っていないが、遊びのようなものだ。
お手製のフーチは、水晶と鎖を真鍮の留め具で繋いだもので、鎖には革紐と麻紐で編んだ縄が巻かれていた。ヘイジくんは、フーチを持ったまま、山を登るようだった。
「これ、ヘイジが自分で作ったの?すごーい!」
ユミさんの驚きを横目に、わたしは山道を上り始めた。その後を、二人が続く。あまり遅くなると、日が沈んでしまう。暗くなったら、危険だ。
しばらく登ると、勾配が急になってくる。地面も、砂利だから歩きづらい。ユミさんはゴシックロリータの格好で、ヘイジくんは下駄を履いているから、歩きづらそうだ。おまけに、木の根っこも地面から飛び出しているから、転びやすい。
わたしたちは、休みを取りつつ、鞍馬山を登った。さっきまでの貴船神社とは違って、観光客にすれ違わない。麓の景色を見下ろすと、ずいぶんとちっぽけに見えた。
ついに、睦月さんに教えてもらった蛇の木の場所に着いた。だが、それらしい木は見つからない。あきらめて、先に進むと、奥院・魔王殿と呼ばれる場所に着いた。
ベンチに座って、ひと息ついていると。
「ところで、この山の怖い話って、どんな話なんですか?」
二人が、キラキラした瞳で聞いてくる。
「神隠しって、信じる?」
わたしが曖昧な顔をしていると、睦月さんが続けた。
「鞍馬山はね、入山した人が帰ってこないことがあるの」
「ある道から山に入った人が、それっきり。いっしょに来た人がちょっと目を離したり、道を外れた途端に、いなくなったって。遺体も何も見つからないまま」
「いまも、ですか?」わたしは、念を押すように聞いた。
「数年前の話よ。低い山なのにね……」
「そういうことも、ありますよ」
「なら、登ってみる?」
わたしは、どんな風に答えたのだろう。その時は、思い出せなかった。
「なんか、都市伝説っぽいですね……。裏は取ったんですか?」
「いや」
「どうせ、ただの噂話ですよ。じゅうぶん怖いですけど」
ヘイジくんが、疲れた声で言った。おそらく、興味がないのだろう。ユミさんはといえば、何かを考え込んでいるようだった。
「よし、行こう」
それからは、木の根が張った山道をぐねぐねと歩き、ベンチを見つけるごとに一息入れつつ、粛々と歩き続けた。誰にも会わないまま、五時半になろうとしていた。
全体の2/3を過ぎたところで、ユミさんがわたしたちを呼びとめた。
「この木、おかしくない?」
ある大木の肌に、丸い穴が穿たれていた。釘のような円の痕が、幾つも幾つも。
「これ、丑の刻参りやった痕ですよね……」ユミさんは、死んだ目でそれを凝視していた。
わたしたちは、写真を撮ってから、その場を後にした。
ようやく、麓にある鞍馬寺の本殿に辿り着いた頃には、日が暮れかけていた。
「フーチ、持ってたんですけどね」ヘイジくんが、つぶやいた。
「うん」
「手の中で、ぐいぐい引っ張られてるカンジしてたんですよ。ずっと」
「そしたら?」
「ススメススメ、みたいに。でも」
「うん」
「ちょっと目を離したすきに落としたみたいで」
「見つかった?」
「どこにも落ちてなかったんです」
「そっか」
「神隠しかな、それ」ユミさんが、ふふっと笑った。
「わかんないです。もう、帰って温泉でも入りましょう」
そういうこともあるかもね、と、わたしは考えていた。
わたしたちは、鞍馬山を後にした。電車に乗った頃には、三人ともすっかり疲れ果てていた。
結局、蛇の木は見つけられなかった。
「みえださん、質問なんですけど」ユミさんが、わたしを見つめた。
「なんでしょう」
「神隠しの話したじゃないですか。でも、今日行った道って、初心者向けのハイキングコースだと思うんです。ほんとは、違うコースじゃないですか?」
「そうだよ。奥宮の先にある山道。だって、みんなしんどそうだったし」
「なんですかそれ!」ヘイジくんが、声を荒げた。
「でも、二人とも帰ってこれなくなったとしても、覚悟してた?」
二人は、黙ったままだった。
「まあ、いい。駅に着いたら、ハンバーガーでも食べよう」
ユミさんが、賛成した。
「おいしいメシが食べたいです」
続いて、ヘイジくんも。
とりあえず、三人とも無事に帰って来れて良かった……。
睦月さんの言葉が、ふたたび蘇った。
「後宮からずっと奥に行った先に、けもの道があるよ。地元の人や修験者しか歩かないような。鞍馬山は、何年も何年も通ってやっと、違う顔を見せてくれる山だから、いちげんさんが遊び半分で入ったら二度と帰れないよ」
「みえださん、誰か連れて行く気でしょう?一人で行くなら、教えてもいいよ。でも、お連れさんが帰れなくなったら、どうする?そうなったら、どうやって責任を取るの?」
見抜かれていた。
わたしは、何も答えられなかった。
おわりに トモくんの話
六月のある夜のことだった。
メンバー全員で揃った時のこと。
わたしたちは、鞍馬山を訪れたことや、貴船神社の恋愛のご利益があったことを話していた。
(どんな内容かは書かない。でも、ご利益はちゃんとあった)
すると、「ヘイジちゃんたちが探していた蛇の木って、これですか?」
そう言って、トモくんがスマートフォンの画面を見せた。
「おととい、鞍馬山登ってきたんですけど、ふつうにありましたよ」
わたしたち三人は、途方に暮れたような顔をしていた。
「またおいで、ってことですかね……」
誰かが、ぽつんとつぶやいた。

みえだゆあ

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