Kyoto

呪われても知らない京都の最恐心霊スポット9選

佐藤ルーミー

あなたは京都の表の顔しか見えてないのでは?
京都は平安京ができてからずっと日本の政治の中心だった。やがて武士という戦闘集団の登場によって、政権の中枢を狙う公家たちは彼らとともに戦をし、京都の街に屍の山を築き上げるようになった。政治の実権を公家に代わり武士が握った後も幾度となく戦火は京都を包み怨嗟をばら撒き続けた。死後怨霊となった崇徳上皇の保元の乱、十数年に及ぶ戦乱で京都を灰塵へと変えた応仁の乱、あの有名な本能寺の変、江戸・幕末は池田屋事件や禁門の変、そして歴史の表舞台にまで出ない事件まで含めると京都の土は人の血を1000年以上に渡って吸い続けた。そんな血にまみれた歴史を持つ京都がただの観光の街であるわけがない。今回は呪われた街・魔界京都を体験できる心霊スポットを紹介したい。

首塚大明神(くびつかだいみょうじん)

首塚大明神

場所 : 京都府京都市大枝沓掛町京都縦貫自動車道(沓掛~丹波)

Map : https://goo.gl/maps/9ufopAknDSA2

国道9号線を京都市から亀岡市へ走ると老ノ坂(おいのさか)トンネルがある。そのトンネル直前に左へ道が続いている。しかし神社の看板も案内も何も出ていない。これは参拝を拒んでいるとしか思えない。荒れた道を進むと、どん詰まりに京都最恐スポットといわれる首塚大明神はある。だが境内といえるものは見当たらず、うす暗く木に囲まれてお社はポツンとある。その社の隣には落雷により根元まで裂けたご神木がある。これは迫力がある。なぜよりによってこの木だけ雷が落ちているのか。

ここの祭神は日本の怪奇譚でこれまた「最強」とされる鬼・酒呑童子・・・の首。平安時代、妖怪退治のエキスパート源頼光が童子に毒酒を飲ませた後、首を切り落とした。これは作戦勝ちと言っていいだろう。その首は不浄ゆえ京都洛中に持ち帰ることができず、この場所に埋められたという伝説が始まりとされる。童子が首を切られる前に悔い改めたことからこの神社は首より上の病気にご利益があるという。しかし、心霊的には生半可な気持ちで鳥居をくぐると呪われるようだ。筆者は風邪をこじらせると必ず喉からやられる。このご利益はありがたすぎる。一心不乱に拝もうと思ったが、蚊の大群に襲われてしまった。そして数歩進んで後悔した。しまった、鳥居をくぐるときは蚊のことしか考えていなかった。これは中途半端なマインドを鬼さんに見られたかもしれない。祟られる。しかし、今も昔も物事を円滑に解決するのはカネだと知っている。普段は1円しか賽銭を入れないが今回は10円を納めて神社と蚊の大群を後にした。酒呑童子さんはきっといつもより10倍も多い心意気を買ってくれるであろう。

モーテルサンリバー

老ノ坂 モーテルサンリバー

場所 : 京都府京都市大枝沓掛町京都縦貫自動車道(沓掛~丹波)

Map : https://goo.gl/maps/9ufopAknDSA2
(⇧首塚大明神の途中にあるのでマップは同じです)

国道のはずれにある老ノ坂(おいのさか)トンネル手前を左に折れる。その後、夏でもほの暗い杉山を進むとすぐに右手に廃墟が現れる。モーテルサンリバーだ。老ノ坂峠の廃モーテルとも呼ばれる。緑に覆われ朽ち果てた姿はいつ幽霊が出てもおかしくない。ここでは殺人事件で殺された女の幽霊が二階の窓から顔を出す、泣き声が聞こえるといった怪奇現象が起こるらしい。壁には廃墟お決まりのスプレーで書かれた落書きがある。破られたフェンスからは肝試しで侵入した跡もある。外から中を覗いてみるとかなり荒れている。なるほど、殺人現場といわれると一層不安感が増す。昼間でも入りたくはない。筆者は自分の健康を大事にする。絶対に床が抜けていることは長年の廃墟探訪から知っている。さらに必ず虫に刺される。自分の健康が大事だ。素通りすることにした。健康は大事だ。

老ノ坂バス停

老ノ坂 バス停

場所 : 京都府亀岡市篠町王子田ノ尻山陰道

Map : https://goo.gl/maps/cPqHwoVk1H92

大江坂(が訛って老ノ坂となったとされる)は平安京外部の穢れから四方より平安京を防御する四境(しきょう)のひとつであった。その結果、陰陽寮により京の都に入れない疫病や幽鬼は自然とこの関所の外に集まるようになった。しかしそれははるか昔の話ではない。老ノ坂付近は死亡事故が頻発したことから平成28年5月に交通死亡事故多発警報が発令されている。これは偶然によるものだろうか。いや、何者かの仕業かはわかるだろう。

その京都鎮守の歴史に由来してか、この老ノ坂には霊園がある。そして道路脇にこの霊園の利用者のためのバス停がある。そう、このバス停に出るのだ。バスを待つ魂が。彼らは自分で抜けられない結界をバスに乗って京都に入ろうとしている。深夜この峠のバス停で人を見かけても決して目を合わせてはいけない。
停車中の筆者の目の前をバスが通り過ぎって行った。座席にはセーラー服姿の女性が座っている。かわいい!と直感的にバスを追いかけた。私は彼らに呼ばれているのだろうか。バスは霊園前で停まり、筆者は横から女のコの顔を見ようとバスを追い越した。しかしそのコはこの峠でバスを降りていた。目を合わせたかった。街までドライブしたかった。

清滝トンネル

場所 : 京都府京都市嵯峨鳥居本深谷町府道137号線

Map : https://goo.gl/maps/6TRScMG4C2o

泣く子も黙る知らぬ人はどこにもいない京都最恐心霊スポット。化野念仏寺の前の道路を登りきった峠で深い闇が口を開けている。山の景色にぽっかりと開いたそれこそ清滝トンネルの入り口だ。トンネルの手前に信号機がひとつ。片側一車線のためつけられているのだが注意してほしい。これが青だと呼ばれているというのだ。さらにトンネルの中ではボンネットに女が降ってくる、行きと帰りではトンネルの長さが違う、女の叫び声が聞こえるなど噂の絶えないスポットとなっている。
このトンネルの上には峠を越える迂回路も存在するが、清滝地区からの一方通行となっている。峠の頂上付近の嵐山高雄パークウェイと立体交差する場所にもうひとつの怪奇スポットがある。この道路の壁面になぜか下向きにミラーがついているのだ。ミラーの真下を通るときに自分の姿が映らなければ死ぬというものである。この道は一方通行なのになぜ向こう側を映す鏡が必要なのか。この峠は試峠(こころみとうげ)という名前だが何を試しているのか。不可解極まる。

筆者がこのトンネルを通ったときに感じたのは狭さだった。廃線になった愛宕鉄道跡を道路として利用しているためで、それもそのはず狭いうえ天井が低く延々と続くこのトンネルは圧迫感が強い。そして暗い。心霊スポットとされる理由がよくわかる。昼間でも真夜中になるこのトンネルは嫌でも恐怖心を掻き立てられる。おそるおそるトンネルを抜け、山越えしようと試峠の下向きミラーも見に行ってみた。このミラーは本当に地面を映している。この景色は不気味としか言いようがない。頭の中で不可解=不気味になる。だが無事にミラーに映る自分の姿を確認できた。

だんだんと峠の頂上に近づくとその先の道路が無くなっているような、まるで地平線のような錯覚に陥る。そのときハッと気付いた。そう、ここは試峠の地平線。あの文豪ハードボイルド作家の北方謙三氏の人生指南書の題名もまさに「試みの地平線」であったと。北方先生はこの峠の頂上に立ちあのミラーを見上げ、そこに映る自分を眺めながら人生について深く考えたに違いない。私は先生と同じ場所に立ち心が打たれた。

はい!この記事を読んで行ってみようと思ったあなたに警告。トンネルの中は絶対に歩かないこと。上から降ってくる女性をお姫様抱っこするはめになるとかそういうレベルではない。間違いなく路線バスにひかれる。バス一台がやっと通れるほどの空間しかないのだ。逆にあなたが車で行くのであれば、地元清滝の人は平気でトンネルの中を歩いて抜けてくるのでこちらが加害者にならないように細心の注意を払ってほしい。また、バイクで試峠に行こうとする人がいたら停車する位置を誤らないこと。急傾斜の坂の途中で立ちゴケするとバイクを起こせなくなる可能性が大だ。安全運転で行きましょう。お土産は無事故でいいのお父さん。

梅ノ木踏切

梅の木踏切

場所 : 京都府向日市寺戸町二枚田4

Map : https://goo.gl/maps/KMD9d8wrNtQ2

混みいった住宅街の中に突然現れる踏切。阪急京都線が向日市を突っ切っている。飛び込みが多く自殺のメッカとなるのも実際に現場に行ってみてわかった。この踏切、やたらと電車との距離が近いのだ。

ここは単に自殺が多いだけではない。京都府の戦後死者多数の重大交通事故現場2位と3位になっているのだ。ちなみに1位は祇園の暴走事故である。さて、その2番目は梅ノ木踏切バス衝突事故・昭和36(1961)年11月5日向日町寺戸梅ノ木・踏切でバスが列車と衝突、死者7人。3番目は梅ノ木踏切乗用車衝突事故・昭和45(1970)年2月23日向日町寺戸梅ノ木・踏切で乗用車が列車と衝突、死者5人。この踏切で事故だけで12人が命を落としている。同じ踏切でこれだけの事故が続けて起こり、京都府の重大事故史の上位を独占というのは不可思議である。筆者が踏切を歩いたとき草むらの中に献花が供えられていたのを見つけた。ニュースには出ないだけでここで亡くなる人が絶えないことを意味している。面白半分で行くのはやめておいた方がよい。鉄オタ・阪急ファンの方へ、梅ノ木踏切は簡単に電車と触れあえる距離なので十分気を付けてください。

天蓋の花公園

天蓋の花公園

場所 : 京都府京都市大枝北沓掛町4丁目7

Map : https://goo.gl/maps/p9kLAEzcNxG2

住宅街の中にひっそりと佇んでいる公園。階段を降りると広場があり、その向こうには滑り台がある。この滑り台を滑るとその先にはブランコがある。傾斜を利用し高低差のある公園だ。それにしてもなぜここが心霊スポットとなっているのか。特になにも事件や事故、噂を聞かないが公園を一周するとその理由がわかった。雰囲気がさびしいのだ。ひぐらしの鳴き声が響き夕暮れを迎えると途端に薄気味悪くなる。夕方、降魔が刻に妖怪でも出てきて「なんか用かい?」なんて聞かれてみたい。お後がよろしいようで。

 

化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)

場所 : 〒616-8436 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17

Map : https://goo.gl/maps/bjSxy3A7Tq42

京都で「〜野」がつけば埋葬地と思ってほしい。それも身分の低い人や名もなき人たちの終焉の地である。この化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野(れんだいの)と共に風葬の地として知られている。念仏寺はその辺りに転がり、果てようとしていた遺体を空海が埋葬したのが始まりとされる。現在の圧倒的な石塔や石仏は散在していた無縁仏を明治時代に集めたものである。この8000を超える石仏は、積み上げる度に鬼が壊しに来るという賽の河原に模して「西院(さい)の河原」と名付けられた。さて、心霊スポット的要素であるが、心霊写真が撮れやすいため撮影禁止であるとか気分が悪くなるといった現象も起きている。

筆者が念仏寺に行ったのは千灯供養の日であった。これは毎年8月23日・24日に、念仏寺境内の西院の河原にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯し供養する行事である。夕闇が西院の河原を包み、数千のろうそくに火が灯されていく光景はただただ幻想的である。西院の河原の外からは写真撮影可能だが、三脚の使用は禁止なので注意。是非、都合がつけば千灯供養の化野念仏寺に足を運んでほしい。供養してきてください。

 

清水寺

場所 : 〒605-0862 京都府京都市東山区清水1丁目294

Map : https://goo.gl/maps/n2WfUxqw3dT2

紹介は必要ないほどに京都の超一級の観光名所である。しかしここが心霊スポットというのはどのガイド本にも載ってない。にわかには信じられないが「清水の舞台から飛び降りる」の本当の意味が死体目線だということだ。故人が崖に投げられ斜面を転がった後、鳥についばまれながら風化し自然に帰るには最適の建築様式をしているのだ。建物は崖からせり出し、この舞台を長大なケヤキの柱で支えている。これを懸造(かけづくり)という。本堂の高さは崖下の腐乱していく死体からの異臭や感染を防ぐためという説がある。

個人的には、鳥辺野のある清水寺の南に位置する大谷本廟付近から将軍塚を抜け山科へとドライブしてほしい。この東山から山科にかけてはなんとも言い難い陰鬱な空気が漂っている。実際に現在も火葬場があるこの一帯はそもそも風葬・鳥葬の土地だったのである。鳥辺野という地名は死んだ人を木に吊し、その肉を鳥に喰わせる鳥葬の地から名付けられたものだが、故人が鳥のように空を舞うという意味もあるのではないだろうか。
上を見上げれば輪を描きながら鋭い目を向けるおびただしい数の鳥。死体が転がれば一斉に群がる鳥。あなたは何を想像するだろう。筆者は巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督のパニックホラー「鳥」を思い浮かべた。まさにヒッチコックはこの鳥辺野・清水寺に観光に来たときにこの映画の着想を得たそうである。これは嘘です。

 

三条河原

Map : https://goo.gl/maps/BRyX9WPEdWS2

鴨川沿いを南北に貫く河川敷、中でも賑やかなのは三条通から四条通にかけての数百メートル。夏は川床で舌鼓を打ち、春や秋は寝そべったり散歩したり、冬はジョギングにと京都市民、観光客の憩いの場所となっている。平和な光景を一年通して見せてくれるこの河川敷が実はいわくつきの場所ということを現代人は知っているだろうか。

今も昔も往来が多く、見せしめとして絶好の三条河原は処刑と晒し首にうってつけの場所だったのだ。古くは平将門の首が晒されたものの三日後に関東へ飛び去ったという伝説。安土桃山時代は大泥棒・石川五右衛門の地獄の釜茹で。その後は豊臣秀吉の甥である豊臣秀次の首が晒され、秀次一族39人の処刑により鴨川は赤く染まったといわれる。幼児も容赦なく惨殺されたこの処刑場所は三条木屋町付近とされる。江戸時代直前には関ヶ原の戦いに敗れた西軍の石田三成の首、幕末には京都に地の雨を降らせた新選組組長・近藤勇の首がみせしめとなっている。皮肉なもので新選組を一躍有名にしたあの池田屋事件の池田屋は目と鼻の先の三条木屋町にあった。他にも多くの罪人が磔獄門になっている。

この通り呪われた三条河原は怨霊や憎悪が渦巻いている。その不吉なもの達の存在は常人には感じないが、意外にも鴨川のカップルによって裏付けられるという。暑い夏の日も、底冷えのする京都の冬も河原に等間隔で並ぶカップル。なんと一説には鴨川のカップルは霊を避けて座っているというのだ。これは驚きである。裏を返せばカップルが座っていない空きスペースにはすべて霊がいるということになる。見える人からすると《カップル近藤勇カップル石川五右衛門カップル平将門カップル・・・》とこのような具合になんとも濃い歴史的大スター達と一列に座って、ゆく川の流れの絶えなさを見ているのである。さらに鴨川に座ったカップルはうまくいく、という。これは諸説あるが筆者が推測するに、例えば幕末だと三条河原で命を落とした人間には佐幕派も倒幕派もいる。このお互いの仇が死後も目の前を浮遊されては未来永劫浮かばれまい。そこで鴨川カップルが間に入ることで仇敵同士の緩衝材となるのである。お互いの魂の安寧のために三条河原の霊達はカップルを供給しつづけているのだ。という訳であなたも好きな人ができたら一緒に三条河原に座ることをオススメする。地縛霊’sの後援で末長く幸せになること請け合いである。

 

京都にはまだまだ心霊スポットがあった!↓

【魔界京都】呪われよ。京都最恐心霊スポット7選

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